28歳、PMP合格までの半年間 4 〜スケジュール(概略)〜
ここからが本題です。
pmbok取得までのスケジュールと
私の事前の知識量ですがこんな感じです。
■スケジュール
6月:前の会社を辞める
7月:あたらしい会社に入る。
8月:受験に必要な35時間の講座を受講する。勉強開始。
9月:参考書を買って勉強を始める。
10月:参考書を読んで勉強する。
11月:参考書を読んで勉強する。
12月:1回目の試験(不合格)
1月末:2回目の試験(合格)
■事前の知識量
・PMBOKという単語は知っている。実際に中身を読んだことは無い。
・2年間、システム開発にPMOとして参画し、プロジェクトの流れは判っている。
もう少し書くと、、、
→ウォーターフォール型もアジャイル型のプロジェクトもどちらも経験した。
→プロジェクト計画書に必要な要素についてなんとなく判っている。
PMO時代はPMBOKを知ったフリをして笑顔で誤魔化していました笑
ではまた!
28歳、PMP合格までの半年間 4 〜ここまで前置き〜
ぜんぜん明日じゃなかったですね、、、こんばんは。
ともあれ資格を取得をしようと決意した当時27歳の私ですが、早速壁に当たります。
そう、資格取得に必要な、35時間の資格取得講座の受講と、PMBOKの費用です。
前の記事でもお話ししましたが、受験には 35時間の研修が必要で6万円くらいかかります。
早速会社に申請するも、却下、、、理由は他にもっととるべき資格があるとのことでした。
確かに、私が当時持っていた資格はI Tパスポートくらいで、「基本情報技術者試験とかLPICとかオラクルとかもっと他にとるべき資格はあるでしょ」というのは今考えればごもっとも笑
しかしまぁ当時の私はめちゃくちゃ、いきってました笑
ありがたいことに現場での働きが評価されてリーダーとしてメンバーを増員したり、参画の単価を上げてもらったり、なんでもやれると考えてしまったんですね。
・・・なのに資格の取得もろくにさせてくれない。こんな会社やめてやる。。。と。
その結果が転職。これが27歳春でした。
入った先はいわゆる、外販があるユーザ系の子会社です。
業務は営業と同行してお客さんの業務を改善するためのシステム提案と、受注後に要件定義から本稼働までをPMとしてプロジェクトを運営するようなものでした。
もちろん売ってるシステムの理解も大変でしたが、
会社のお偉いさんが一度受けたけど、落ちてもう諦めたという話を聞いたら
余計に取りたくなっていったのです。
それではまた。
28歳、PMP合格までの半年間 3
資格の取得を目指すようになったきっかけは
当時新人で配属された現場がそのpmbokを標準として開発を進めてた事にあります。
しかも担当はPMO(プロジェクトマネジメントオフィス)で、開発のルール策定や、
「こうしたらもっとプロジェクトが良くなる」とアドバイスをするようなコンサルチックな
お仕事でした。
社会人2年目、プロジェクトの経験もそんなに無い中でいきなり放り込まれて、「参画先のプロジェクトのダメ出しとそれに対する対策を考えなさい」と。
今思っても本当にすごい現場でした。。。笑
もちろん一緒に組んでたおじさまは経験豊かでしたので
今思えば心配することはなかったのですが、当時の私は本当に辛かったです。
同じ会社の人間は別のプロジェクトでフォローも少なかった・・・
ここまで言ってしまえばお察しかと思いますが、
その人の影響をに受け、憧れ、追いつくため、勉強を始めたのです。
(実際には勉強を始めることを決意したのです笑)
また明日
28歳、PMP合格までの半年間 2
こんばんは。
初回の記事ではググってねと書いたPMPですが
取得の経緯を書くにも
「そもそもPMPってなんぞや」を書かないとわかってもらえないので
簡単に説明させていただくと、
プロジェクトをうまく進捗させるためにこんなことをしようね。というお約束が書かれた本、「pmbok」の内容がどれだけわかっているかという試験になります。
ITの資格の難易度的には応用情報の少し上、高度情報の下という位置付。
しかし、実際には
応用情報技術者試験のように出題範囲は広くないので、取得はもっと容易いと思います。
しかし、pmbokの試験のハードルはそれ以外にあります。
1.受験料や維持費が高い
→私の場合、再試込みで試験代だけで10万円
程度で、受験条件である講習参加でも
5万円かかりました。
更に取得後も3年に一回更新があるので
その時にも1万円程度費用がかかります
2.試験前に経歴を英語で登録しないといけない
→正直お金よりこれが一番キツかったです、
過去3年間のプロジェクトで自分が
プロジェクトマネージャーとしてどんな
ことをしてきたか英語でPMPを認定する
会社に登録します。
とにかくお金がかかる、このPMPという資格ですが、私はそれでもとりたいと思っていました。
また明日!